AI時代になり、定型業務やAIで対応可能な非定型業務は人が扱わなくなっていきます。結果として人に求められるのは、価値観・意思を踏まえた難易度の高い判断などが中心になってきます。
これらは暗黙知が多く含まれる領域であり、個人としても組織としても、いかにこの暗黙知の継承に強くなっていくかが重要です。そこで有効なフレームワークとなるのが、認知的徒弟制です。

1. 認知的徒弟制とは
認知的徒弟制は思考、判断、意思決定といった不可視の認知プロセスを学習対象とします。単なる定型業務の習得ではなく、熟達者のビジネスにおける判断基準や課題への向き合い方、いわば仕事のOSを学習者の内部に再構築することに適しています。
このモデルの特性を、いくつかの視点で分解してみましょう。
1.1. 基盤の共有
特定の業務スキルを個別に教えるのではなく、未知の課題に対してどう考え、どう動くかという、仕事の基盤となる思考回路そのものをアップデートするアプローチです。
1.2. 状況への適応
マニュアル通りに1から10まで順番に進める直線的な学習ではありません。学習者の習熟度や、その場で起きている問題の複雑さに応じて、支援の形をリアルタイムに変えていく柔軟性が求められます。状況の変化に合わせた動的なサポートが重要になります。
1.3. 暗黙知の可視化
経験に裏打ちされた暗黙知を対話を通じて表に引き出していくことに重点を置きます。あえて説明しにくい部分に光を当てるプロセスと言えます。
2. 熟練者と徒弟
徒弟制における師範と弟子の関係にはいくつかの呼び方がありますが、この記事では熟練者と徒弟と呼ぶことにします。
2.1. 熟達者
徒弟のために自身の無意識な判断基準を言語化し、外部へ出力する役割を担います。単にスキルが高いだけでなく、組織が継承したい文化・価値観・暗黙的な技術を体現している必要があります。熟達者が組織や専門職として理想とズレていると、そのズレまで徒弟に引き継がれるため、適任者を厳選する必要があります。
たとえば、組織文化を新入社員にも受け継ぐために、文化面のメンターとして熟練者を指名する仕組みを作ったが、社内の50%くらいは組織文化を体現できていないとします。この場合に、熟練者に文化を体現できている人を指名する必要がありますが、部門やチームによっては担当できる人がいないかもしれません。
2.2. 徒弟
熟達者の論理構造を学び、自身の思考基盤に組み込む役割を担います。成果を出しているメンバーの顧客アプローチを観察し、その背後にある意図を一つずつ分解して自分のスタイルに取り入れる新人のような姿勢が必要です。
3. 実装の二つの形
認知的徒弟制を組織に導入する際、その導入方法には大きく分けて2つのパターンが存在します。
3.1. 意図的な設計
メンター制やペアワークのように、特定の時間と役割を定義し、意図的に思考の同期を行う形式です。ワンオーワンなどがこれに該当します。人選のミスマッチを防ぐために、組織文化への適合度が高い人物をアサインするガバナンスが効きやすい形式です。
3.2. 自然な創発
熟達者と徒弟が日常的に同じプロジェクトや課題に向き合う場を用意し、自然なやり取りの中で学習が発生する形式です。チャットツールでのやりとりの可視化などがこれにあたります。意図しない人からの影響も受けやすいため、周囲にどのような熟達者がいるかという環境設計が重要になります。
4. 支援の6段階
支援の強度が徐々に減衰していくことを前提とした、6つのステップによる学習フローです。

- Modeling : 熟達者が実際に課題をこなす姿を徒弟に見せ、その時の判断理由を言語化して可視化します。
- Coaching : 熟達者が徒弟の実務を観察し、詰まった時にヒントを出したりフィードバックを行ったりします。
- Scaffolding : 徒弟のレベルに合わせて足場となる支援を提供します。
- Articulation : 徒弟自身に、なぜその判断を下したのかを説明させ、概念を自分の言葉で固定させます。
- Reflection : 内省によって自分のプロセスを熟達者のものと比較し、どこに差分があるのかを特定して修正します。
- Exploration : 学んだ基本の型を離れ、自分なりの新しい提案スタイルや課題解決の手法を試行します。
5. 実践の例
私は以前の職場でエンジニア採用の業務を後輩に引き継ぐ機会がありました。そのときの取り組み方の一部が認知的徒弟制の要素を含んでいたので紹介します。
- Modeling : 最初はペアで面接に入り、私が主体で進行している様子を見せる
- Modeling : 面接後に、実施した内容に関する考え方、意図を説明する
- Coaching & Scafolding : 次に、今度は後輩が主体で面接を実施し、必要であればサポートをする
- Articulation & Reflection : 面接後に、実施した内容に関する考え方、意図を確認し、フィードバックがあればする
- Exploration : 大枠、自分ひとりでできるようになったら単独で実施してもらう
- Articulation & Reflection : 必要に応じて、実施した内容に関する考え方、意図を確認し、フィードバックがあればする
なお、このような方法を取るまでもなく手順書を渡せば済む定型的な業務については、事前に手順書を用意して困ったら確認してもらう形で任せていました。
補足ですが、当時の会社におけるエンジニア採用は開発部門のマネージャーやエンジニアが面接や実技に対する選考の判断をしていて、人事は応募の背景にある転職軸の引き出しや、キャリア相談のお手伝い、その上で事務的に連絡する必要がある選考プロセスに関する説明を主に担当しています。暗黙知の引き継ぎでいうと、マッチング・インタビューと呼んでいる部分が中心でした。
6. 適用境界の整理
情報の複雑性と不確実性に基づき、この手法を適用すべきかどうかを判断します。
6.1. 最適な領域
組織文化の変革、複雑な利害関係が絡むプロジェクト管理など、文脈が答えを左右する領域です。正解が一つではなく、その場での機微な判断が成果を左右する場合に最も効果を発揮します。
6.2. 有効な領域
新規事業の企画立案、マーケティング戦略など、ベストプラクティスはあるが状況に応じた応用が求められる領域です。フレームワークはあるものの、それをどう使いこなすかに個別の判断が必要な場合に有効です。
6.3. 不適合な領域
経費精算、定型的な書類のファイリングなど、手順が固定されており、誰がやっても同じ結果になる領域です。アルゴリズム的に解が決まっていて、迷う余地がない場合はこのモデルは不要です。
7. AIと人間の連携
認知的徒弟制が必要になるのは入社、役割変更、異動、継続的な成長支援など新たな学習が必要なときであり、非定型の内容の場合です。AIが進化してきたことで、新たな学習の一部はAIがカバーしてくれるようになってきました。すでに一般的に知識体系としてまとまっている分野に関しては、熟練者のロールを持たせたAIの学習支援機能などでカバーできます。これによって、わざわざ人が出てこなくても済む範囲が広がっています。
場合によっては熟練しているが暗黙知を説明するのが苦手な人間よりも熟練者のロールを持たせたAIのほうが言語化がうまいこともありえます。
残るのは、AIでも推測が難しい情報の蓄積が不十分な分野や、人や環境に特有の暗黙知は人間が対応する必要があります。一方で、これらについても自前で情報を蓄積すれば、AIのソース情報が増えていき、支援を受けることができる範囲が広がります。人間同士の認知的徒弟制のログ自体が、AIによる認知的徒弟制支援のインプットになるというわけです。
人によりますが、考え方やスタンスに関わるフィードバックは人から人に伝えると抵抗があるけど、AIに言われる分には特に傷つかずに受け入れやすいという人もいて、そういう人にとってはAI熟練者は最高のパートナーになりえます。