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Employee Experience Engineer tbpgr(てぃーびー) のブログ

自説への固執度がもたらす影響。自分の考える「正解」は100%正解なのか?

  • 何かを問題として捉え、改善の提案をするとき
  • チームで方向性を検討性があり、提案をするとき

自分の提案内容は常に正解なのでしょうか?

当然そうではありません。人の判断には誤りがつきものです。 自説への固執度が高すぎると、悪影響が発生する場合があります。

どんな悪影響があるのか?それを踏まえて、どのようなスタンスが必要かについてまとめます。

自説の固執

何かのお題について自分の意見を述べるとき、その固執度によっては問題が発生します。

人間は完璧ではありません。当然「自分の意見が常に100%正しい」とは限りません。
例えば、取り扱うお題の正解率に関わる変数として

  • A - 取り扱う話題の種類
    • A1 - 明確で一意の正解が存在するもの
    • A2 - 大雑把にベストプラクティスが存在するもの
    • A3 - 正解は存在せず、個人の好みの領域にあたるもの
  • B - 取り扱う話題の難易度
    • B1 - 内容が簡単で正解に至りやすいもの
    • B2 - 内容がある程度難しく正解に至るには一定の知識、経験が必要なもの
    • B3 - 内容が非常に難しく、試してみないと分からないもの
  • C - 取り扱う話題の前提情報の十分さ
    • C1 - 前提情報が十分にある
    • C2 - 前提情報がほどほどにあり、筋のいい人なら何とか正解に至る
    • C3 - 前提情報が不足していて、今判断しても運任せにしかならない

などがありえます。
「A1,B1,C1」などの前提の場合は正解の可能性が高いのでよいのですが、「A2,B2,C2」については正解の可能性が下がり、「A3,B3,C3」に至っては、そもそも正解が存在しません。

不正解の自説にこだわった場合の影響

不正解の際に自説に固執すると、関係者との衝突が発生しやすくなります。

一方で、実際には「A2,B2,C2」や「A3,B3,C3」の場合で、内容的にも正解かどうか怪しい場合であっても、自説を正解と信じて疑わず、異論を唱える相手を敵とみなすケースは珍しくないように思います。

では、実際に「不正解」の自説を「正解」と確信して主張し、異論を唱える相手と敵対すると何が起こるでしょうか?
当然関係性は悪化し、信頼関係が保てなくなっていきます。

自説に対する反応に対して柔軟性を持つ

そのようなケースに陥らないためには思考の柔軟性が必要です。

例えば以下のような考え方を持つことです。

  • 自説が誤っている可能性を考慮に入れる
  • 自分が知らない前提情報の存在を考慮に入れる
  • 自分と異なる意見の他者の考えに興味を持ち、詳細に確認する。異論に即反発せず、まずは詳細を聞き出す
  • お題に正解が存在せず「好みの問題」の場合、状況に応じて「自説を推す・他者の説に譲る・折衷案を作る」を使い分ける
  • 自分の価値観を唯一の正解として他者に強要しない

逆に、自説に固執した場合、自分と異なる他者の意見を掘り下げるときに「正しくない相手を言い負かすための材料探し」に陥ってしまいます。 そうなると、実は隠れていた前提情報や思いもよらなかった正解の情報を引き出すチャンスを失ってしまいます。

まとめ

自説への固執が生む影響についてまとめ、それを防ぐための柔軟な思考についてまとめました。

自分が考える正解に沿っていない他者はけしからん。能力が足りない。
そんな考えに至っている場合、本当にそうなのか、改めて前提を見逃していないか整理する必要があります。