誰かが抱える問題の解決を支援するときに考えることを「直接・間接」と「浅さ・深」の二軸の組み合わせで考えてみました。
このときの支援対象については、仕事に限らず私生活での友人や家族など広く考えるものとします。
支援の四象限
浅くて直接的な支援
相手が問題解決策を欲しがっているときに、そのものズバリ正解を与えるパターンです。
多くの背景が存在するほど複雑な話ではないことが明らかで、考える過程自体を奪うというような種類のものでもなく、純粋に情報だけ渡せば相手が嬉しいケースでの支援です。
場合によっては、なぜ自分がそれを知っているのかを添えるとよさそうです。
浅くて間接的な支援
相手が問題解決策を欲しがっているときに、正解を与えずに相手が正解に到達するための質問やヒントを提供するパターンです。
多くの背景が存在するほど複雑な話ではないことが明らかで、考える過程自体に価値があり、相手自身が考え方を身につけると嬉しいケースでの支援です。
相手が対象の解決方法について、自ら気づくことにつながるような質問をします。
どうしても、相手が気づくことが難しいときは少し具体的なヒントを出します。
深くて直接的な支援
相手が問題解決したがっているときに、大抵はその背景に多くの前提があります。
一言で正解を言い当てられるようなことは稀で、どちらかというと入り組んだ前提をもとに、相手自身も整理しきれていない状態であるがゆえに最初に助けを求めた発言自体も曖昧であることが多いように思います。
となると、そもそも本気で解決によりそうなら、その背景を明らかにする部分まで踏み込む必要があります。
ここからは問題の背景、問題そのものに関してひたすら質問をして掘り下げていきます。
場合によってはその経過情報を図などにまとめることも必要になります。
そうして明らかになった問題を積極的に介入してともに解決します。
この場合、相手が自ら考えて解決する機会を奪うことになるため、その取組に時間的な余力がない場合などに選ぶ選択肢になります。
深くて間接的な支援
問題を掘り下げて前提を明らかにするところまでは「深くて直接的な支援」と同じです。
そこからは、相手が自ら問題を解決できるように質問をします。
どうしても、相手が気づくことが難しいときは少し具体的なヒントを出します。
まとめ
支援する際の前提の複雑さを深さに。
成長機会としての余白の有無を直接的・間接的にそれぞれ例えてみました。
そのときの状況や相手によってどれが好ましいかは変わりそうに思います。