今日、こんなツイートをしました。
世の中には二種類の人間がいる。
— てぃーびー 📺 (@tbpgr) 2018年2月26日
自分が味わった苦労を人にも味合わせたい人と、
自分が味わった苦労を人には味合わせたくない人だ。
前者から距離をおき、
後者の近くにいると幸せになれそうですね。
このツイートの前と後に起こったことが個人的に興味ぶかかったのでまとめることにしました。
流れ
ナツヨさんのブログ記事を読んで、ツイートをしました。
"「自分が感じた苦労を後輩に味あわせたくないよね・・・!」" / “オープンソースカンファレンス2018 Tokyo/Springに参加しました(どんちゃん編) - infragirl’s blog” https://t.co/Qjstqtf4X3
— てぃーびー 📺 (@tbpgr) 2018年2月26日
その直後「 急に売れ始めるにはワケがある 」という書籍を読んでいて、
人間について考えていました。
そこで「苦労を味あわせたくない人」とは対象的に「苦労を味合わせたい人」がいるよな、
ということを連想しました。
さらに、この対象的な内容を連想した際に、以前テレビでオリラジのあっちゃんが
「世の中には二種類の人間がいる・・・」という書き出しを使うとインパクトがある、
という話をしていたのを思い出しました。
そこで冒頭の
世の中には二種類の人間がいる。
— てぃーびー 📺 (@tbpgr) 2018年2月26日
自分が味わった苦労を人にも味合わせたい人と、
自分が味わった苦労を人には味合わせたくない人だ。
前者から距離をおき、
後者の近くにいると幸せになれそうですね。
というツイートにつながります。
さらに、ここで「 そーさん( so1_ ) 」からリプライをもらいました。
あー、たしかにそうですね。
— てぃーびー 📺 (@tbpgr) 2018年2月27日
そういう意味では、自分の過去の成功体験にとらわれず、他者の意見を柔軟にきき、過去の体験より優れたものかどうか中立的な視点で比較し、受け入れるマインドのある人かどうか、というのが話の本質なのかもしれません。
「苦労を味あわせたくない人」との対比で表現したために「苦労を味合わせたい人」という表現になっていましたが、
確かに「苦労を味合わせたい人」のように見えてしまう人は苦労をさせるのが目的ではなくて、
- 自分が考える苦労を伴う手段が正しく、価値があると信じている
- より楽をできると相手が主張する方法より正しいと考えている
- より楽をできると相手が主張する方法を受け入れる思考の柔軟さ、謙虚さがない
ということになりそうです。
この後もやり取りを続けたのですが、そこは省略します。
整理する
ここで起こったことを整理します。
- ナツヨさんのブログ記事に関心を持って読んだ
- そこから "「自分が感じた苦労を後輩に味あわせたくないよね・・・!」" という部分で、湊川さん( @llminatoll )もよく同じような話をしているよな、ということを思い出しつつ、該当部を引用してツイートをした
- そのとき読んでいた本の影響で連想が発生した
- 連想のアウトプットフォーマットとして以前にみたテレビのことを思い出した
- ツイートとしてアウトプットした
- そーさんのリプライをもらった
- そーさんの意見を受けて考えを整理した
以上のような連鎖が短時間に発生しました。
蓄えた知識、新たに得た知識、外部の情報への関心、人との交流、外部へのアウトプット。
これらの連鎖が閃きを生み、思考を深めてくれています。
これって野中郁次郎先生が言うところの SECI モデルの 共同化 の場がもたらす効果かも、
ということを思いました。
この発想自体も連鎖の一部かもしれないし、今私がこれを文章として形式化し、
他の人と共有することは 表出化 かもしれません。
まとめ
組織内におきかえると、
などがそろうと、各所で今回のような出来事が必然的に偶発的に発生するのかな、
というような想像をしました。